将棋のタイトル獲得を最年少でとり、日に日に藤井聡太さんも見た目も貫禄が出てきました。
インタビューの時もとても落ち着いていて、クールな印象が強いですよね。
そんな藤井聡太さんの幼少期の頃は一体どうだったんだろう?
一体どのような教育を母から受けると藤井聡太さんのような賢い子になるのだろう?
幼少期にしていた遊びはどんなものがあったのか?
などなど沢山気になります。
そんな藤井聡太さんの幼少期の母からの教育、遊び、それとエピソードを今回は紹介していきたいと思います。
名前は知っていたけれど、どんな人なのか分からなかったという方も、幼少期の頃の話を知ると、身近に感じると思います。
特にエピソードはほっこりとしてしまうと思いますよ!
藤井聡太の幼少期の母の教育は?
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まずは気になる教育の仕方。
天才を育てる親には何かしら学ぶことが多いです。
どの様に藤井聡太さんが育てられてきたのかを見てみましょう。
両親の接し方
「好きなことはとことんさせる」というのが藤井家のモットー。
5歳の藤井聡太さんが将棋教室に通い、毎日のように詰め将棋を解いていたそうです。
お母さんが、詰め将棋の解答をノートに書いてあげ、まだ漢字が読めなかった時は、将棋本を読んであげていました。
小学4年の頃、名古屋から大阪の将棋会館まで行くときも、母親が同行し、対局をしていた時には、ベンチで読書をしながら待っていたそうです。
子供がやりたいと思うことを徹底的にやらせてあげて、それを完全にサポートされていたのですね。
精神面での、サポートもしっかりとされていたようです。
そのサポートの仕方は、どんな時も、叱ることなく一緒に喜びも悔しさも共有してあげたそう。
大泣きをしたときには、叱るでもなく、たしなめるでもなく、静かに見守っていたといいます。
なかなか出来る事ではないのではないでしょうか。
「泣かない!」とか、なにか励まそうと色々と口を出してしまいがちですよね。
こうした見守るという姿勢が藤井聡太さん自身で考える力、困難を越える力をつけていったのかもしれませんね。
天才を育てる【モッテソーリ教育法】
モンテッソーリ教育法って何?と思われた方も多いと思います。
モンテッソーリ教育とは、医師であり、教育家であったマリア・モンテッソーリ博士が考案した教育法です。
教育の目的は「自立していて、有能で、責任感と他人への思いやりがある、生涯学び続ける姿勢を持った人間を育てる」こと。
「子供には、自分を育てる力が備わっている」というところが前提となっています。
子供を科学的に観察し、そこから得た事実に基づいて、独自の教具を開発し、教育法を確立。
その教育法の確かさは、現代の大脳生理学、心理学、教育学などの面で証明されています。
モンテッソーリ教育は、教師(大人)の価値観で一方的に教え込もうとするのではなく、子供が自らやってみたいと思う環境を用意して、自分で選んだ活動に満足いくまで繰り返し取り組みながら様々な能力を獲得していきます。
藤井聡太さんも3歳の時に入園した「雪の聖母幼稚園」がキリスト教カトリックの幼稚園で、この教育を受けました。
この教育を受けた著名人の中に、ビル・ゲイツ(マイクロソフトの創業者)、ジェフ・ベゾス(Amazon。com共同創始者)
ヘレンケラー、アンネフランク、セルゲイ・ブリン&ラリー・ペイジ(Google 共同創始者)等がいます。
藤井聡太の幼少期の遊び方は?
キュボロを3セット所有…さすがだ🤔
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やり始めると集中力が半端ない藤井聡太さん。
どんな環境でどんな遊び方をしていたのでしょう?
3歳の頃に遊んでいたおもちゃ【キュボロ】とは
三次元の世界でビー玉を落とすスイスの組み立て式のスロープ玩具です。
5cm角の木のブロックをつなぎ合わせて、そこをビー玉を走らせる立体パズルになります。
組み立てる際に、玉の道筋が見えないパーツがあるので、脳内で三次元の構成をどうすればビー玉が止まらない道を作れるかと考えるようになります。
出来た時はとても達成感もあるため、子供はもっとやりたいと思うようになります。
藤井聡太さんも3歳の頃に、ずーっと飽きずに遊んでいたそうですよ。
このようにして、遊びながら脳を鍛えていったのでしょう。
やり始めたらとことんやる集中力ははじめからあったと母親の裕子さんは言います。
祖母が買ってくれた将棋に夢中に
これは有名な話になるかと思いますが、5歳になった藤井聡太さんに祖母の育子さんが「スタディ将棋」と呼ばれる盤駒のセットを与えました。
スタディ将棋は駒に動かし方が書いてあるもので、最初育子さんが相手をしていたそうですが、すぐに適わなくなり、将棋をやったことのあるおじいさんが相手をするようになったけれど、またすぐに藤井聡太さんに勝つことが出来なくなりました。
それでも将棋が指したいといったので、将棋教室に通うようになったとのことです。
とっても将棋が楽しかったのですね~。
藤井聡太の幼少期のエピソード
物静かにインタビューに答え、とても賢い青年の印象のある藤井聡太さんですが、幼少期はとても元気のよい子供だったみたいです。
小さい頃はやんちゃで元気いっぱいだった
小さい頃はとてもやんちゃで、お兄ちゃんと一緒に走り回ったり、ドッジボールをして遊ぶのが大好きだったそうです。
運動も得意で特にかけっこは速かったといいます。
将棋教室で「お花見将棋会」で河原に行った時にも、広場でかけっこをして、一番小さい聡太さんが勝ってしまうくらい早かったとのことです。
50mも6、8秒で走る俊足だったというので、かなり速いですよね。
小学1年生くらいからは木登りもよくやっていて、家の前にあるクロガネモチの木に登って遊んでいました。
教室内では当時通っていた子供たちの中でもとても活発な少年だったといいます。
将棋教室でも、長時間の稽古のあと、終わりの挨拶の後、プロレスを始めることもあり、年上の子と対等に戦っていたみたいです。
恒例になっていた、教室の最後に坂本九さんの「明日があるさ」を替え歌したものを皆で歌っていたそうなのですが、聡太さんは前列に座り、大きな声でいつも歌っていたんですって。
今のクールなイメージからは想像できないですよね。
もしかして初恋?
将棋教室の中で、聡太さんより2つ歳が上の女の子のAちゃんがいたのですが、その子からとても可愛がられていたそうです。
いつも「そうちゃん、そうちゃん」と言ってきてくれたそうです。
ある日、その時最年少だった聡太さんが年上の小学生に向かって、「Aちゃんをいじめるな!!」と真っ赤な顔をして睨みつけ言ったそうです。
あまりにも迫力があったので、みんな凍り付いてしまったそう。
いつも可愛がってくれた女の子だったので、正義感からだったかもしれないけれど、もしかしたら初恋だったのではないかと先生は思ったそうですよ。
とても泣き虫だった
負けん気がとても強く、将棋で負けた時は毎回泣いていました。
将棋教室の先生が言うには、歴代の生徒の中でも一番泣いた生徒だといいます。
素直に感情を表に出していたのですね。
小学名人戦の愛知大会の出場した際には、優勝候補で小学2年生だった聡太さん。
関東から来た子に負けてしまい、優勝を逃してしまいました。
その時は、身体を壊してしまうのではないかと思うくらい、大号泣をし、それが何分もつづいたそうです。
それだけ真剣に取り組んできた証ですね。
このように幼少の頃はとても感情が豊かで喜怒哀楽を表に出していたのですね。
子供の頃に大きな悔しさを知ったからこそ、本来の負けず嫌いもあってここまで登り詰めたともいえるでしょう。
成長するにつれ、感情を自分でコントロール出来るようになったと言っていました。
負けた時は常に自分に腹を立てるが、それを糧に次につなげていくことが大事と思うようになったと言っています。
しかし、このようなことから見ても、心の中にはとても熱いものを常に持っている方なのではないでしょうか。
藤井聡太の幼少期の遊びや母の教育を知りたい!エピソードも紹介!:まとめ
藤井聡太 四段
『名人戦・順位戦 C級2組 9回戦』に勝利(9勝0敗)し、C級1組への昇級が決定又、昇段規定により『藤井聡太 五段』へ昇段
※羽生善治 竜王・棋聖との公式戦 初手合いは五段での対局 pic.twitter.com/F3axCdSBuB— 藤井聡太 竜王(四冠) 12月14日 銀河戦 決勝トーナメント 準決勝 渡辺明 名人 (@soutafujii_0719) February 1, 2018
幼少期の環境と教育でその後の成長にかなり影響するといいます。
藤井聡太さんは幼い頃伸び伸びと遊び、自分が熱中できるものを見つけ、やりたいと思うことを徹底的にやる事の出来る環境を与えられていました。
「キュボロ」というおもちゃによって、考える力や完成した時の達成感が身に付きました。
通った幼稚園が「モンテッソーリ教育」という個々の持って生まれた才能を活かす教育法であったことも藤井聡太さんにとってとても恵まれた環境であったといえます。
幼少期の時には大泣きしたり、激しく怒ったり、沢山の友達の中で遊び、エピソードの中からも感情豊かに成長されたのだということも分かります。
そんな藤井聡太さんを家族みんなで見守ってきたのですね。
これからも沢山の記録と記憶に残るであろう藤井聡太さんを応援していきたいですね!