新庄剛志さんのキャラクターの根っこを作ったのは家族だと言っています。
そこで、今回は父親にスポットを当ててお話をしていきたいと思います。
どの様な育て方をしてきたのか、エピソードなど。
驚きのエピソードがあったり、合気道の先生ならではの精神力であったりとても興味深い内容です。
どれだけ父親との関係性が強いのかもわかるのではないでしょうか。
新庄さんが野球人生で愛用していたグローブを父親が亡くなった時に、一緒にお棺に入れて見送ったといいます。
そのグローブにまつわるお話もしていきたいと思います。
合気道の先生をしていた父親の育て方はどの様であったのか見てみましょう!
新庄剛志の父親は合気道の先生
合気道をしていたという新庄さんのお父さん。
まずは合気道はどんな武道なのかというところから、お父さんはどんなひとだったのかを深堀していきたいと思います。
合気道とはどんな武道なのか
「合気道」は試合をせず、自己の心身の鍛錬のみを目的としています。
相手の攻撃に対して投げ技、または固め技にて応じるのが基本であり、その技は相手の力を利用してかけられます。
理念として、武力によって勝ち負けを争うことを否定しているため試合は行われず、稽古のみになります。
力をあまり必要としないその特徴から老若男女問わず、誰でも気軽に始められる武道として人気があります。
怪我が少ない、基本身体能力が向上する、精神面が鍛えられる、心を静める、相手の気持ちを考えることが出来るようになるなど、子供の習い事としてもメリットの多い武道です。
どんなお父さんだったのか
合気道をしていたというお父さん、一体どんな人だったのでしょうか?
とてもお酒好きで毎日のように居酒屋へ行っていたといいます。
きっとおしゃべりが好きで、沢山友達がいたのではないでしょうか。
お酒を飲んでおしゃべりをすることが生きるエネルギー源(ストレス発散)だったのでしょうね。
しかし、ちょっと気が短いところもあるようで、居酒屋のお客さんと喧嘩をすることも多かったようです。
もしかしたら、お酒が入って、気持ちが大きくなってしまうタイプだったのかもしれませんね。
子供のしつけに対してはとても厳しかったようです。
新庄さんの子供の頃のお父さんへの態度は新庄さんが過去を語る内容から、お父さんの顔色を伺っているようなところもあるように思います。
上下関係、親と子、先輩後輩などへの礼儀というものをしっかりとしつけられてきたのでしょう。
子供の頃はとても貧乏だったと新庄さんは言っていました。
しかし、それほど悲壮感がなくそんな中で伸び伸びと成長してきた新庄さんだったのではないでしょうか。
息子の才能を信じ、伸ばしてあげたのは何といってもお父さんではないかと思います。
病は気からを教えてくれたお父さん
合気道の先生をしていた新庄さんのお父さんは精神力や気持ちを大事にしていました。
新庄さんが子供の頃、物凄く頭が痛かったことがあったそうです。
いつも「痛いなんて言うな!気力で治せ!」と言われていたので、最初は我慢をしていたそうです。
しかし、時間が経ってもまったく痛いのが収まらず、我慢が出来なくて「今回だけ」と泣きついたことがありました。
その時に、「今回だけだぞ」と渡された薬を飲んだらすぐに痛みが治まったそうです。
しかし、それは下痢止めの薬でした。
「頭痛薬だと思って飲んだから治った。薬なんてなんでもいい、気持ちで治ると思っていたら何でもなおるんや」
とやり方がとてもビックリな感じですが、そんなことから、「痛いから」とかいう理由で病院へ行ったり、泣き言をいうことはなくなったそうです。
気持ち、気合いで乗り越える。
根底に父親のそんな教えがあるといいます。
お父さん自身も、ひどい熱があった時も仕事を休むことなく、普通に出かけて行ったそうです。
父親の背中を見て学んだ
新庄さんのお父さんは造園業の仕事をしていました。
そして、仕事が終わるといつも居酒屋に通っていたそうです。
新庄さんもよく連れて行ってもらったといいます。
喧嘩っ早いお父さんがあるとき、暴走族がうるさいと一人で乗り込んでいって,ボコボコにされてあばら骨を折って帰ってきたそうです。
それでも次の日には普通に仕事をしていたというのです。
暴走族と喧嘩してしまうところは大きく突っ込みたくなるところですが...
どんなに帰りが遅くても、寝坊することなく仕事をし、「疲れた」という言葉など絶対に言うことはなかったそうです。
プライベートで何があっても言い訳をしないで黙々と目の前の仕事をやり続ける。
仕事の厳しさ、仕事をやり抜くことの大切さ、格好良さをお父さんの背中を見て学んだと新庄さんは言っています。
グローブのエピソードや育て方
新庄さんは派手なイメージがとても強いので、なんでも爆買いし、買い替えるように思いませんか?
しかし、そうでもないんです。
思い入れの強いものなどは大切に扱い、ずっと使い続けることがあるようなのです。
それが、グローブでした。
1つのグローブを使い続けたエピソード
新庄さんが17歳の時にプロ野球選手になって初めての給料で買った7500円ほどの値段のグローブがありました。
この1つのグローブを自分の野球人生で使い続けようと思ったそうです。
新庄さんのお父さんはハサミ、金づちを毎日手入れし、綺麗にしていたといいます。
とても道具を大切に扱っていたのですね。
その姿をずっと見ていたこともあり、新庄さんも一つのグローブを大切にしていこうと思ったそうです。
そのグローブは新庄さんの手にぴったりとフィットし、15年もの間ずっと愛用されました。
これでゴールデングローブ賞をとったのですね。
メジャーリーグでもこのグローブをしようしていて、一度アメリカの選手にこのグローブに手を入れられそうになり、とても怒ったそうです。
アメリカ人の手はとても大きいので、形を変えられるのが嫌だったようです。
それだけ自分の手と一体になっていたのですね。
厳しく育てられたが深い愛情もあった
飲んだくれていた父親だったけれど、仕事は真面目。
相手の事を考えて、相手を気持ちよくさせれば、必ず次の仕事につながるとよく言われていたそうです。
人間同士がやっているのだから礼儀さえちゃんとしていれば、必ずいいことが起きる。
そんなお父さんも子供の頃にお寺で精神力を鍛えられたそうです。
父親からは礼儀と敬意ということに関してとても厳しく育てられたそうです。
そんな厳しい父親が、小さく見えたという出来事がありました。
新庄さんがプロ入りの直前で暴力問題を起こしてしまったのです。
それは女の子を助けるため感情が強く出てしまい手が出てしまったようです。
その時に父親が呼ばれ、遠くから急いでやってきたそうです。
先生たちに必死で謝っていたお父さん。
先生たちに平謝りの姿を見て、でっかい存在だった父親がちょっと小さく見えたといいます。
それと同時にこれからは自分が父親に恩を返す番だと強い決心をしたそうです。
子育てに関する本を出していたお父さん
実は新庄さんのお父さんは本を執筆していました。
新庄さんには特に伝えることなく、自分で出したらしいです。
大リーガー「新庄剛志」の育て方 子育ては木育て
新庄英敏(著)
造園業をしていたお父さんが子育ては木の育て方と一緒であると言っています。
普段はやっていることに口を出さず、余計な枝を剪定するように、間違ったことをしそうなときだけ正してあげる。
造園業を営むからこその視点から子育てを考える面白い内容だと思います。
お父さんは実は自分が野球選手になりたかったそうです、
しかし、盲腸を破裂させてしまうということで野球さえも出来ない体になってしまいました。
なので、自分の子供は絶対プロ野球選手になってほしいと思っていたそうです。
それを考えると、新庄さんは自慢の息子ですね!
新庄剛志の父親は合気道の先生!グローブのエピソードや育て方:まとめ
いかがでしたでしょうか?
BOGBOSSとして人気を集めている新庄さんですが、その父親もとてもユニークな熱い人だったのだと分かりましたね。
合気道やお寺での生活によって培われてきた精神力がしっかりと受け継がれていることと思います。
グローブのエピソードには父親の仕事に対しての姿勢が反映されていました。
色々な意味でとても深いつながりがあったことが分かったのではないでしょうか。
これからの新庄BIGBOSSの活躍、楽しみですね!