2022年北京オリンピックに日本代表選手として3人の中に選ばれた鍵山優真選手。
見事に銀メダルを獲得しました!
氷上で滑る姿は、とても堂々たるもので、オリンピックを楽しんでいることが分かりました。
キスアンドクライで鍵山優真選手と父であるコーチが映し出されましたが、涙をこらえる父に対し笑顔で答える鍵山優真選手がとても印象的でした。
しかし、父であるコーチが怖いと言っているという噂が…
はたしてどうなのでしょう?
鍵山優真選手の父もオリンピックの選手でした。
そのことに関して掘り下げていきたいと思います。
【鍵山優真の父がコーチで怖い?父もオリンピックの選手だった?】という内容を今回は調べてみました。
鍵山優真の父がコーチで怖い?
【誌面見本】「Quadruple Axel 2020 シーズンクライマックス」 今季、目覚ましい活躍でスケート界に新風を吹き込んでいる #鍵山優真 選手と #鍵山正和 コーチの師弟対談。 指導者であり、父でもある正和コーチの言葉は、教え子への愛情に満ち溢れていました。 https://t.co/UdsryeHIDj pic.twitter.com/c2s8n7W7ib
— Quadruple Axel 編集部 (@AxelQuadruple) March 5, 2020
鍵山優真選手のコーチは父であることは有名ですが、その親子の関係はどうなのでしょうか?
コーチとして父として愛情を注いだ
自身もフィギュアスケート選手としてオリンピックにも日本代表として出場していたため、息子にかける思いも強かったことでしょう。
時には厳しく指導していたこともあるようなので、そういった意味で怖いことはあったのだと思います。
それは深い愛情からくるものであるので、しっかりと受け止められてきたことと思います。
しかし、父親からいつでも何でも教われる環境で、他の子から比べると時間をうまく使えていないことを父正和さんは感じていたそうです。
本来であるならば、コーチをお願いして教わる時間もその中でなので、集中して練習するけれど、いつでも聞けるという環境下で、真剣さにかけていました。
息子をトップスケーターに育てるために、どうしたらいいのかを常に考えていたようです。
しかし、自宅に戻ると、スケートの話をすることはしなかったそうです。
とてもいい関係を築けていると鍵山優真選手も言っていました。
父親と息子としての関係を大切にしたかったのだと思います。
実は離婚をされていたために、父子家庭だったので、自宅で窮屈にならないように気遣ったのかもしれませんね。
鍵山優真選手が自らスケートをやりたいという思いが強かったために、父正和さんが一緒に暮らして教えたということですね。
病気で倒れた父
父正和さんは2018年6月脳卒中で倒れ、入院されました。
鍵山優真選手はこの頃中学生でした。
やっとトリプルアクセルが飛べるようになってきた時でした。
中学になった時、長野県から横浜に練習拠点を移し、父正和さんは佐藤コーチに「厳しく指導してほしい」とお願いしたそうです。
浅田真央さんを指導されたコーチです。
他のコーチに頼み、もっと真剣に練習に取り組んでほしいという願いがあった為です。
病気で倒れた時も、「優真を預かってほしい」と佐藤コーチに頼みました。
振付を担当してくれた三沢先生にはステップや表現力を教わったことでさらに磨かれました。
佐藤コーチは基礎の部分を徹底的に教えたそうです。
鍵山優真選手は父親とずっと二人三脚で来たので、突然一人になってしまい、どうしたらいいか分からなかったといいます。
しかし、父親の突然の病気で一人になってしまったのですが、「自分が頑張ればお父さんは元気になる」と気持ちを奮い立たせ熱心に練習に打ち込んだそうです。
このことがきっかけとなって、自分がしっかりしないといけないと自立心が生まれました。
練習に打ち込み、みるみるうちに上達していきました。
その様子を佐藤コーチはビデオに録画をし、正和さんに見せたそうです。
息子の成長を強く感じたのではないでしょうか。
この時の脳出血により、父正和さんは左半身に麻痺が残りました。
リハビリによって多少歩けるようにはなっていますが、長い時間は難しいようで、今回の北京オリンピック時も車いすを押す鍵山優真選手が見られました。
一緒に北京オリンピックへの挑戦をし、獲得した銀メダル。
ひと際感慨深いものであったと思います。
父正和さんは目に涙を浮かべ、鍵山優真選手は満面の笑みで喜びを表していました。
鍵山優真の父もオリンピックの選手だった?
2022年北京オリンピックに日本代表として選ばれ、メダルを獲得した鍵山優真選手。
実は父である正和さんもかつてオリンピック選手でした。
オリンピックの現役の頃の動画
若い頃はさわやかなイケメンですね!
全日本で優勝をしていたので、とても期待されていた選手でした。
現役時代の成績
1991年から全日本フィギュアスケート選手権3年連続で優勝
1992年アルベールビル五輪 13位
1994年の全日本フィギュアスケート選手権 2位
1994年リレハンメル五輪 12位
1994年世界選手権では、自己最高の6位入賞
オリンピックではなかなか上位に行くことが出来なかったのですが、国内では常にトップクラスのスケーターだったことが分かります。
オリンピックの選手に選ばれることだけでも凄いことですよね!
鍵山優真と似ているところ
「膝と足首が柔らかい選手」と評価されていた父正和さんですが、動画を見ても分かるように、ジャンプの後の着氷がとても柔らかくて似ていますね。
身体能力はまさに父親譲りと言えるでしょう。
スケートを滑っている時は、何となく雰囲気も似ている感じがしますね。
4回転ジャンプも出来るようになり、オリンピックで銀メダルを取った鍵山優真選手は父親を超えたことになりますね。
父親としてはとても誇らしいことであると思います。
鍵山優真と父がめざすこと
NICE SHOT📸#フィギュアスケート 男子シングル
銀メダルを獲得した #鍵山優真 選手と父である #鍵山正和 コーチのツーショット✨🥈#Beijing2022 #TEAMJAPAN #がんばれニッポン#オリンピック pic.twitter.com/C2jAbUzHFT
— TEAM JAPAN (@Japan_Olympic) February 11, 2022
鍵山優真選手はシニアに上がってまだ間もないので、これからの選手であると思います。
羽生結弦選手がオリンピックでメダルを獲得した後に次々に記録を更新していったように、鍵山優真選手もまだまだ伸びていくでしょう。
調べてみると、とても大きな目標を持っていることが分かりました。
5回転への挑戦
羽生選手が4回転半を目指すなら、鍵山優真は5回転を目指す。
そして、飛べるようになる。
これが鍵山優真選手の父の目指すところです。
そして、出来ると言っているのは父だけではありませんでした。
元フィギュアスケートの金メダリストのブライアン・ボイタノは鍵山優真選手の演技を見てこのようにインタビューで語られていました。
カギヤマは次世代を築く選手。彼は多分、世界で最初に5回転ジャンプを成功させることが出来る選手になるだろう。彼の4回転のジャンプを見ると、まだ余裕がある。ジャンプの高さ、体型、そして若さを持っている。
彼はリメハンネルオリンピックで父正和さんと一緒に出場していた選手でした。
4回転半がまだ前人未到であるこの時に、すでに5回転を語られるなんてすごいことですね。
オールラウンダーを目指す
「全てに対してきわめてほしい」それがコーチである父の願いであり、目指すところです。
「曲がなくても人を引き付けることが出来るスケーターになってほしい。」
「これはまだ話していないのですが」と言っていたのですが…
オリンピック前のインタビューで鍵山優真選手自身が「オールラウンダーを目指したい」と語っていました。
しっかりと同じ目標に向かっているとはすばらしいですね。
鍵山優真の父がコーチで怖い?父もオリンピックの選手だった?:まとめ
鍵山優真選手のコーチである父は怖いのか?という疑問については、スポーツの頂点を目指すには厳しい練習を経ていかないといけないため、それなりに厳しくするのではないか。
しかし、怖いコーチというよりはとても愛情をもって指導している様子がうかがわれます。
突然脳内出血という病気によって、父和正さんが倒れてしまい、そのことによって鍵山優真選手が自分がしっかりしないといけないと自立心が芽生えました。
それと、師弟関係や親子関係においてとてもいい関係が築かれているように思います。
父、和正さんもまたオリンピック選手でした。
親から子へ引き継がれた夢があったのですね。
ジャンプするときの膝や足首の柔らかさは父親譲りでしたね。
また次回のオリンピックに向けて、オールラウンダーとなり、そして5回転への夢を実現させてほしいと思います。