北京オリンピックも目の前です。
オリンピック直前の大会でも羽生結弦さんのそばにコーチが不在なのが気になりました。
今回、羽生結弦さんがとても大きな目標をもって闘いに臨んでいるのは誰もが知ってのとおりです。
なぜそんな中でもコーチが不在なのでしょうか。
選手にとってコーチのサポートというものは精神的にもとても大きいものであると聞いています。
なぜコーチが不在なのかの理由と、羽生結弦さんが言ったもう一人のコーチという母親の存在について深堀していきたいと思います。
母親のコーチとはいったいどういうものなのでしょう?
羽生結弦なぜコーチが不在?
久しぶりにオーサーコーチと羽生君のツーショット見たい pic.twitter.com/phNJaMIxdZ
— ⛸️ぱむ⛸️ (@lmpamyuzu) January 30, 2022
大会の時にキスアンドクライという審査を待つ場所がありますが、そこにコーチのいないことが多い羽生結弦さん。
コーチは不在なのでしょうか?
コーチはブライアン・オーサー
羽生結弦さんは2012年の4月にコーチをブライアン・オーサーに変更しました。
ブライアン・オーサー
カナダ出身
フィギュアスケート選手で、現在はコーチ
1984年 サラエボオリンピック 銀メダル
1988年 カルガリーオリンピック 銀メダル
1987年 世界フィギュアスケート選手権 優勝
当時、トリプルアクセルを飛ぶ選手が少ない中、「ミスター トリプルアクセル」と呼ばれるほど美しく安定して飛ぶことが出来た。
コーチをしている選手
【現在】
羽生結弦
ジェイソン・ブラウン
チャ・ジュンファン
紀平梨花
他
【過去】
キム・ヨナ
ハビエル・フェルナンデス
エフゲニア・メドベージュア
他
師事を決めた理由としてはこのようでした。
同じ頃、オーサーコーチに指導されていたファビエル・フェルナンデスの4回転ジャンプの精度が上がりました。
「自分の最大の武器である4回転ジャンプを安定させれば、スケーティングや表現力等の他の部分も上達させることが出来る」と思ったそうです。
オーサーコーチの指導方法は、ジャンプ、スケーティング、全体でスムーズに見える技術、表現力、それぞれの得意分野を何名かの指導者で担当していく方法です。
「クリケットクラブ」という場所です。
トップクラスの選手たちが集い、その中で切磋琢磨のもそこの魅力になっています。
実際、まだハビエル・フェルナンデスが現役でやっていた頃、羽生結弦さんと二人が互いにライバル同士で背中を追いかけ合っていたという話も聞いています。
コーチ不在の理由はコロナの為
2020年にコロナによって、カナダに入国するのにとても困難になりました。
羽生結弦さんも喘息の持病を抱えているために、日本で練習することに決めたのです。
日本で練習するということは、コーチだけでなく他の刺激し合う選手もいなく、全くの孤独な闘いになるということです。
日本の地元仙台で練習を一人でやっていたようです。
カナダにある「クリケットクラブ」自体もコロナの影響を受けてスケートリンクが使えないという環境だったようです。
また再開したようですが、その時も羽生結弦さんはカナダに行くことなく、日本で練習することを選びました。
振付等に関しては、リモートで動画を送ったり、メールで確認したりとしていたようですが、あまり羽生結弦さんがオーサーコーチに連絡を密に取っているわけではないようです。
今季で4回転半ジャンプを完成させるという思いがとても強いためだと言われています。
小学校2年から4年までの間指導していた都築コーチのコメントがありました。
「一人の方が効果的な練習が出来ると自分自身でも考えて、判断しているのでしょう。創作意欲を高めることや、振付を効果的に練習する目的があるのではないか」
羽生結弦の孤独な闘い
一人の練習は自分を客観視することが難しかったといいます。
4回転半ジャンプの成功に向けて闘っていましたが、スケートをやめたいと何度も思ったといいます。
これだけやってできないならもう無理なのではないか、これだけやったんだからもういいのではないか…
しかし、あきらめなかったのは、幼い頃の夢を実現させたい思いとファンの皆さんの期待に応えたいという思いだったのです。
羽生結弦の母親がコーチをしている?
羽生君のオリンピック始まる前のコマーシャル
羽生結弦選手「お母さん、ありがとう」支えてくれた母親に感謝
世界でいちばん大変な仕事は、
世界でいちばん素敵な仕事です。https://t.co/4KT7ytCEgO— ulala フランス在住の著述家 (@ulala_go) March 2, 2018
常に羽生結弦さんのそばで見守って、支えて、サポートしてきたお母さん。
羽生結弦さんが「母親はもう一人のコーチ」と言っていました。
一体どんなお母さんなのでしょう。
母親はどんな人なのか
幼い頃、羽生結弦さんはとてもやんちゃで運動することも大好きだったそうですが喘息という持病を持っていたので、大変でした。
そこで羽生結弦さんのお母さんは、ホコリが少ないスケートを勧めました。
しかし、フィギアスケートはとてもお金のかかるスポーツです。
お父さんの反対がある中、お母さんがパートを掛け持ちをすることで説得し続けられるようになったのです。
羽生結弦さんの潜在能力を感じ取り、続けさせてあげたいという思いが強かったのでしょうね。
大会に出る時の衣装もお母さんがずっと作ってきました。
パートを掛け持ちしているうえに、衣装まで自分で作ってしまうなんて本当に凄い人だと思います。
お母さんの仕事は紳士服売り場の主任という立場でした。
人をまとめる力、動かす力のある方だと想像されます。
因みにお母さん自身はフィギアスケートの経験はないようです。
性格的には、「自分に似て、意思が強く頑固なところがある」と羽生結弦さんが言っています。
羽生結弦さんがお母さんをもう一人のコーチと呼んだ
常に羽生結弦さんがスケートに集中できる環境を考え、作ってきたのがお母さんです。
2011年東日本大震災で住んでいた仙台はとても大変な状況下に襲われました。
練習拠点のリンクも住んでいた自宅も被災してしまって、練習どころではなくなってしまったのです。
羽生結弦さん本人も精神的にショックを受け、このままスケートを続けていいのか悩みました。
そんな羽生結弦さんを支えたのがお母さんです。
必死に練習場所を探していました。
スケート連盟、コーチ、あらゆるところに頭を下げて回り探したのです。
2012年に練習拠点をカナダに移しましたが、実はこの交渉もお母さんが必死にお願いしたそうです。
家族と離れ、カナダにも同行し、食事面でサポートしたり、精神面でサポートしたりしました。
カナダに住み始めの頃は、英語がほとんどできなかった為外に出たがらなくなり、家に籠るようになってしまいました。
そんな時お母さんは一緒に外に連れ出し英語を学ぶ意欲を高めたのです。
メンタルコントロールで鍛えた精神面
お母さんはメンタルコントロールについても学びました。
羽生結弦さんがまだジュニアだったころ、試合に出る時羽生結弦さんは緊張して失敗してしまうこともあったようです。
そこでメンタルを強くするためにメンタルコントロールを教えたそうです。
今の羽生結弦さんの精神的強さもお母さんと一緒に作り上げてきたものだと言えますね。
お母さんは、なんでも言い合える存在で、本当に何でも言ってきたそうです。
そうすることで自分が自分でいられるようになるそうです。
世界を舞台に戦うには、ちょっとした迷いだったり、メンタル的なもので闘えなくなってしまうこともありますよね。
そんなところも全部サポートしたのがお母さんだったのですね。
羽生結弦さんはメダルをもらった時はお母さんにもかけてあげるそうす。
心から感謝し、尊敬する存在だと言っていました。
何も言わずして心が通い合う親と子の関係あってこそ、多くの偉業を果たせたといっても過言ではないでしょう。
羽生結弦なぜコーチ不在?母親がコーチをしている?:まとめ
なぜコーチが不在なのかという疑問に対しては、このコロナ禍でカナダに行くことが出来なくなったことから始まっていると言えるでしょう。
羽生結弦さんの子供の頃のインタビューですでに「4回転アクセルを飛べるようになりたい」と言っていました。
2回のオリンピック制覇を成し遂げた羽生結弦さんが次に目指したのが、オリンピックではなく、4回転アクセルであったこと。
コーチ不在であったとしても、やるべきことが明確であった為に、一人でも闘う選択をしたように思います。
なぜこんなにも強く信念をもって闘うことが出来るのか。
それはいつも陰ながらサポートし続けてくれた母親の存在がとても大きいものだと分かりました。
いつも自分のこと以上に気を使い、出来ることを探しサポートしてきた母親をもう一人のコーチと言って尊敬していることも納得しますね。
今、本当に自分自身との闘いをされている羽生結弦さん、結果がどうであれ心から応援していきたいですね。