BIGBOSS

新庄剛志がバリ島でなぜ生活をしたの?移住は何年?

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BIGBOSSとして戻ってきた新庄剛志さん。

最近では見ない日はないというくらいメディアに出ていますね。

そんな新庄剛志さんは野球引退後はバリ島に移住をしていました。

「なぜバリ島??」「バリ島で移住って何をして生活していたの?」「どのくらいの期間向こうにいたの?」

などなどの疑問が湧いてくると思います。

BIGBOSSとなったことから、新庄剛志さんの事をもっとよく知りたいと思う人が増えています。

今回は、バリ島でなぜ生活していたのか、何年くらいいたのか、どのような生活だったのかを深堀していきたいと思います。

 

新庄剛志がバリ島でなぜ生活をしたの?

バリ島といえば美しい海と景色を思い浮かべます。

日本でも人気の高い観光地ですね。

新庄剛志さんはなぜここに移住しようと思ったのでしょうか?

バリ島がとても気に入った

野球を引退した後に、仕事でCM撮影をバリ島で行い新庄さんはバリ島がとても気に入ったといいます。

CM撮影を行ったその日の夜に、せっかくバリ島に来たのだからビーチに行ってみようと思ったそうです。

その時、人が沢山いたため、「ヤバい」と思ったらしいのですが、それは日本ではすぐに新庄さんは見つけられて「新庄だ!」と指をさされるからでした。

しかし、バリ島では誰も新庄さんの事を見ないし、気にもしなかったのです。

そこがとても気に入ったそうなのです。

誰にも自分の生活を邪魔されることなく、生活できると思ったそうです。

最高の場所だと。

でも、新庄さん曰く、バリ島に住んだのは「ただの思い付き」とも言っていました。

人生の転換期

実はこの頃、新庄さんは人間不信に陥るような出来事がありました。

バリ島に暮らすために自分の財産を持っていこうと、今まで管理していた人にそのように伝えたそうです。

その時に、発覚したのが、自分の財産のほとんどをその人に使い込まれてしまったこと。

その額20億以上!

新庄さんがプロ野球選手になる時、母親の知り合いである人にお金の管理をお願いしたといいます。

その人はいつも応援してくれ、新庄さんも様々な場面で相談をしていたそうです。

第二の父親のように信頼していた人でした。

そのとても信頼していた人物にお金を使い込まれてほぼ残っていなかったというのです。

新庄さんはその時まで、全く自分で確認、管理をしておらず任せっきりだったそうです。

どうやら自分の経営していた会社が危なくなり、そちらの方に使ってしまったそうです。

弁護士を通じて、少し戻ってきたそうですがその時には人間が信じられなくなり、生きる気力を失ってしまった新庄さんでした。

日本にいたくない思いが強くなった新庄さんは戻ってきた残りのお金でバリ島に暮らすことにしました。

日本とアメリカで野球選手として成功し、脚光を浴びてきた新庄さんでしたが、バリ島の生活が、人生を見つめなおす時間となったのです。

 

新庄剛志はバリ島で何をして暮らしたの?

信じていた人からの裏切りによって、いつも吐き気がするほどだったといいます。

人知れず苦しんでいた新庄さんでしたが、いつしかその経験を前向きにとらえ、こうなったら楽しんで生きていこうと色々なことにチャレンジしていくようになりました。

バリ島の美しい環境と誰にも追われない生活が良かったのでしょうね。

バリ島ではどのような生活を送っていたのでしょうか?

絵を描いていた

現役時代から絵を描くことに興味があり、引退後も少しずつ描いていました。

以前山梨にある「絵夢スペースアート」というスクールでエアブラシアートを学んだそうです。

バリ島でも教えてくれる師匠がいたらしく、多くの絵を描いていました。

自由な時間がたっぷりとあったので、絵を描くことに費やすことが出来たのですね。

日本で個展を開くほどまでになり、その絵は数十万から400万の値がつき売れたそうです。

以前新庄さんは馬主をしていたのですが、馬が勢いよく前足をあげている様子を描いた絵が400万の値が付きました。

エアブラシで描かれた絵は、とても温かみがあり、癒されます。

絵にじっくりと向き合う時間っていいですよね。

モトクロスバイクにはまった

バリ島で暮らし始めて、知り合いがモトクロスに乗っているのをみて、自分も出来ると思ったそうです。

実際乗った時、激しく転倒し、モトクロスバイクの難しさを知ったらしいのですが、そこからが、新庄さん、「難しいからこそ挑戦して乗れるようになる」と奮起し始めたそうです。

自分の庭に2000万円もかけて、モトクロス場を作り、レースを開催したりしていたそうです。

プロのモトクロスレーサーを目指すほどに熱中したようです。

日本のテレビ番組でも、モトクロスバイクに乗って、車の上を飛んで命がけのチャレンジをしました。

歌の練習もしていた

エアブラシやモトクロスの次には、歌を歌いたいと、練習を毎日やったといいます。

福山雅治さんのライブに影響をうけ、自分も歌で皆を泣かせたり、感動させたいと思ったそうです。

最初は同じ音程で「ドレミファソラシド」とやっているだけで音程がとれなかったのですが、下手だからこそやってみたいと思ったのだそうです。

Youtube のアマチュアの先生の動画を見ながら毎日発生練習をして、録音して、チェックし、何度も何度もそれを繰り返したのです。

なぜアマチュアの先生なのかというと、出来ない人の気持ちが分かり、説明がとても分かりやすかったからとのこと。

Youtubeで勉強だなんて凄いですね。

沢山の人の心を揺さぶる事の出来る歌が歌いたいという思いで日々練習を続けたそうです。

いつか披露してほしいですね!!

 

新庄剛志はバリ島に何年いたの?

野球を引退した後にも、時たまテレビに出演はしていたものの、はっきりとした詳細は分かりませんでした。

バリ島でどのくらいの期間生活されていたのでしょうか。

愛犬らなちゃんの歳が14歳

一番身近にいて新庄さんをみていたのはバリ島で溺愛していた愛犬らなちゃんでしょう。

最初はそこまで犬が好きだったわけではなかったそうですが、一緒に暮らすようになって、可愛さを知り、一番の理解者になったといいます。

ポメラニアンのとても可愛らしいワンちゃんでしたが、2020年11月に14歳で亡くなっています。

その時は新庄さんは日本にすでに帰国していましたが、だいたい14年ほどバリ島に住んでいたことになりますね。

ご本人もインタビューの時に14年と言っていました。

結構長期に渡ってバリ島で生活されていますね。

海外で生活をすると、いろんな面で日本と比べることがあります。

日本の良さも知り、バリ島の良さも知り、でも、また日本という地で自分を試したくなったのですね。

心の充電がフルになる期間

バリ島はお寺や宗教遺跡も多く、パワーに満ちているといいます。

とてもゆったりとした時間が流れている場所。

人々は滅多なことでは怒らない穏やかな人達が多いそうです。

バリ島では新庄さんに対してちやほやすることもなく、素のままで接してくれたといいます。

そんなバリ島の人々と生活をしていくうちに、新庄さんは少しずつ変わっていったといいます。

たっぷりと充電出来たからこそ、日本に帰国し野球を再びやりたいと思うようになり、48歳という年齢でトライアウトを受けることを決断されたのでしょう。

やっぱり野球が好きなんだということを再確認したことと思います。

そして、その後には大きな使命が待っていましたね。

BIGBOSS!!

 

新庄剛志がバリ島でなぜ生活をしたの?移住は何年?:まとめ

新庄さんがバリ島に生活したのはなぜなのか?というお話と何年いて、どのようなことをしていたのかもお伝えしました。

全く知らない土地で生活をすることによって、ゆっくりと自分自身と向き合う時間を作る事が出来ます。

新庄さんは野球界ではスーパースターとして輝きを放ち、誰もが知る人となりましたが、金銭トラブルによって地獄に落とされてしまいました。

そのことが発覚する以前からバリ島で生活すると決めていたものの、タイミング的にもいい時に行かれたのではないでしょうか。

バリ島で14年の月日を過ごす中で、自分でお金の管理をし、自分でスーパーに行って買い物をし、やりたいとこを人目を気にすることなく思いっきり楽しんだといいます。

どん底から、前向きに明るく復活した新庄さんは人としてもさらに深みを増したのではないでしょうか。

再び日本に戻ってきて、今度は監督として我々を驚かせ、すでにワクワクさせてくれています。

2022年から始まる新庄BIGBOSSが作る野球を沢山の人が楽しみにしていることも凄いことですよね。

ABOUT ME
yokomoko
色々な場所で道草をくって、迷子になりながら人生歩いています。 そんな中での出会いだったり、見つけたことを楽しみながら、ワンコたちと生活しています。